はだしのゲンについて

小学校低学年の時、授業で『はだしのゲン』のアニメを見させられて、それ以来『はだしのゲン』がトラウマだった。

見させられて、という言う方はあんまりかもしれないが、当時、小学校一年か二年だった私にはよくもこんなものを見させやがってという強烈な恐怖を抱かされた。

これはきっと私だけでなく、同じような体験を持つ人は多いのではないだろうか。

 

私の曽祖母は広島で被曝していて、当時幼稚園児だった私に戦争の話をした。

平和な時代に生まれた幼稚園児の私に戦争の話など理解できるわけもなく、覚えたてのダイナマイトという単語を使って園児の言葉で「原爆はダイナマイトよりも強いの?」と曽祖母に聞いた。

曽祖母は「そうだよ」と答えた。

そんな私は授業で『はだしのゲン』を見て、曽祖母の言っていた「爆弾」の恐ろしさを映像として初めて知ったのだった。

 

私はたかがアニメを見ただけで恐怖に震えた。ここではあえて「たかがアニメ」という表現を使わせてもらおう。

作者は当時の私と同じくらいの年頃(小学校一年生)で、アニメではなく本当の原爆とその被害を見た。

アニメを見ただけで『はだしのゲン』の漫画に近寄れなくなった小学生の私がいたくらいだ。

実際にその場にいた人々が何を思い後年までその思いを抱き続けたか、我々には想像するしかできない。

 

今日録画していたNHKのドキュメンタリー『原爆が奪った“未来“〜中学生8千人・生と死の記録〜』を見た。

曽祖父母にはドキュメンタリーに出てきた中学生と同じような、「中学一年生」の息子がいた。爆心地の近く、おそらくは中島地区で作業をしていたと聞く。

多くの中学一年生が死んだとドキュメンタリーでは語られたが、曽祖父の大事な一人息子も原爆で無惨にも焼かれ殺された。なぁんにも悪いことをしていない幼い中学生だったのに。

とういうのはともかくとして、ドキュメンタリーの中で思春期の子供が原爆体験で受けたトラウマは計り知れない、と精神学者が指摘してた。

 

専門でないので全くわからないが、『はだしのゲン』の作者は思春期にも満たないほんの子供のうちに原爆を体験し、思想の面においても多大なる影響があったと思われる。

はだしのゲン』を「史料」として見ておくべきではないだろうか。私はふとそう思い、今日目を通してみた。

幼い頃はただ恐怖を覚えるだけだった描写も、今見ると記録として見ることができる。

もちろんデフォルメされて脚色されている部分もあるだろうけど、原爆が落ちた時広島にいた曽祖父、曽祖母、祖母の体験を少しでも知ることのできる証言のように感じた。

筆者の体験を元に書かれた文学作品、櫻井忠温の『肉弾』のようだ。

実際読んでみて、当時の私にはあまりに恐ろしくて悲しい作品のように思われたけど、コミカルなところも多くて主人公ゲンの広島弁の口の悪さが笑えたりして色んな意味で面白かった。

 

昔の原爆資料館って、被爆者の姿を蝋人形かなんかで再現していて、それがまるで「お化け」みたいで親戚は「あんなお化け屋敷みたいに作らなくていいのに」と嘆いていた。

実際子供だった私には超怖くて資料館を見に行った夜は超怖くて寝れなくなった。

戦争の悲惨さを教えるという意味では大事かもしれないけど、子供にあんまり刺激物を与えちゃいけないという今どきの親の気持ちもよくわかる。

今の原爆資料館も見ると本当に気が滅入るのでだいぶ前に行って以来再訪する気持ちが持てない。幼い頃に聞いた体験談もあって、とても他人事には感じられないし、あまりに悲しくて悔しい気持ちになる。

ちなみに常設ではないけど資料館にはおじさん(曽祖父の息子)の遺品が寄贈されている。

私の記憶が正しければ何かの折に被曝した祖母たちの手記も公開されていたような。

 

 

こんなこともあり「戦争もの」が大嫌いだった私だが、最近『ゴールデンカムイ』にハマり、日露戦争に傾倒し、ロシア史を学び、地続きの大正昭和史を再び学び直し(というか受験が早く終わったから明治以降は殆ど勉強してない)、戦争について考える日が増えた。

親の金で大学に行き、就職の役にも立たない歴史を専攻したんだから、もっともっと学んでいかないとな、と思った。

仕事は歴史とは一ミリも掠らないから金にならないけどな。